ライチョウ飼育の長年の課題 野生復帰技術の確立
ライチョウ飼育の最終目標
人の手で育てたライチョウの雛を山に放鳥し、絶滅を回避する技術の確立は、50年以上にわたるライチョウ飼育の歴史の中で当初からの最終目標でした。それを妨げていたのが腸内細菌の問題とアイメリア原虫の感染症の課題でした。
これらの課題解決のきっかけとなったのは、孵化したばかりのライチョウの雛は、母親の盲腸糞を食べることの発見です。雛は、盲腸糞を食べることで母親から消化を助ける消化細菌と感染症にかからない為の免疫を獲得していたのです。孵化したばかりのライチョウの雛が高山植物を食べても消化できるのは、この仕組みがあったからです。
一方、動物園で人工ふ化し、人の手で育てたライチョウは、母親からのこれらの贈り物を受け取る機会がありません。そのことが、人工ふ化した雛が孵化後一週間から10日の間に多くが死亡する原因であることがわかりました。
この解決策として考えられたのが、野生のライチョウから採集した盲腸糞を乾燥させて保存し、人工ふ化した雛に与え、消化細菌と感染症の免疫を人為的に付与する方策です。その技術をようやく確立できたことで、長年の課題であった野生復帰の夢に今年挑戦することができました。
那須どうぶつ王国と大町山岳博物館の雛10羽を駒ヶ岳に陸送
9月17日、孵化から2ヶ月以上にわたり人の手で育てられたライチョウの雛が、那須どうぶつ王国から2羽、大町山岳博物館からの8羽、計10羽が中央アルプスの駒ヶ岳に陸送されました。ダンボールの箱に入れられた雛は、それぞれの動物園から車で中央アルプスの麓の駒ケ根まで、そこからはロープウエイで千畳敷まで運ばれました。その後は、登山道を担いで運搬され、午後3時40分、駒ケ岳の山頂直下にある頂上山荘に到着しました(写真1)。
しかし、残念なことに、頂上山荘に無事届いたのは7羽で、大町山岳博物館からの3羽は輸送途中で死亡しました。
ケージを使って雛を現地の環境に慣らす試み
到着後、7羽の雛は、頂上山荘裏に設置した3個のケージに2羽又は3羽に分けて収容しました(写真2)。この時から1週間後の23日まで、ケージを使って雛を現地の環境に慣らす試みがスタートしました。動物園で育てられた雛を高山の厳しい環境にいきなり放り出すことはできません。
現地の環境に慣らす試みは、現地の気候に慣らすことと、高山の餌に慣らすことの両面から実施されました。雨風から守るケージにかけたシートは3日目には完全に取り除かれました(写真3)。雛たちは、初めて見る高山の景色を首を伸ばして見ていました。
3日目からは、ケージの中に石とハイマツの枝で作った雨風を防ぐ塒場所も設置しました(写真4)。
初日は、動物園で与えていたと同じ餌をケージ内に用意しましたが、徐々に動物園で与えていたミルワームや小松菜、切り刻んだリンゴなどは減らしてゆき、代わりに高山で得られるコケモモ、ガンコウランなどの実やオンタデなどに餌内容を変えてゆきました(写真5)。
一週間後に放鳥
現地の環境にほぼ馴れたと判断された9月23日の午前中、ケージの扉は開かれ、雛は放鳥されました。最初に那須どうぶつ王国の2羽が9時30分に第3ケージから放鳥された後、第1と第2ケージに収容していた大町山岳博物館からの5羽が揃って10時に放鳥されました(写真6)。
7羽の雛はいずれも元気でした。放鳥後、大町からの5羽の兄弟姉妹はそろって行動し、一緒に高山植物をついばみ、ハイマツの下での休息を繰り返していました(写真7)。
最終日の23日には久しぶりに晴天に恵まれてロープも再開し、下から上がって来た人達の協力を得て、ケージの解体作業が行われました(写真8)。
ケージを使って雛を現地の環境に慣らす7日間にわたる作業で、晴れたのは初日と最後の日だけで、その間は悪天候の連続でした。
連日の強風と雨でロープウエイが止まり、予定していた手伝いの人が山に登ってくることができませんでした。
そのため、その間は17歳の高校生2人(石原煌明君、国本廉太郎君)と77歳になる私の3人が強風と雨の中で雛の世話をすることになりました(写真9)。
目標は、10羽の雛の野生復帰でしたが、大町山岳博物館からの8羽のうち3羽が車での輸送中に死亡したため、野生復帰できたのは7羽でした。
ライチョウ飼育の長年の夢であった野生復帰は、大きな課題を残したものの、放鳥までは無事に成功させることができました。
放鳥した7羽の雛が放鳥後に近くの秋群れと合流し、彼らと一緒に厳しい冬を乗り切り、来年の春に繁殖してくれることを祈るばかりです。
人の手で育てて放鳥した7羽のうち何羽が生き残り、来年繁殖するかの確認が野生復帰の最後の調査課題です。来年も野生復帰事業を行いますが、それが成功したら環境省が進めてきたライチョウ保護の事業はほぼすべてが終了します。しかし、これまで進めてきた事業は、いずれも応急処置にすぎません。
その後は、今回手伝ってくれた石原君や国本君など、次の世代の若い人にライチョウの未来を託したいと思います。