縄文時代にロマン感じる 大学の研究者に憧れも
小学生の時は遊びに夢中で勉強をほとんどしなかった私でしたが、中之条中学校に入ると少しずつ勉強をするようになりました。きっかけは、自分の部屋がようやく与えられ、勉強机を買ってもらえたことでした。
中学生の私は考古学に関心を持ち始めました。考古学に熱心だった叔父の影響だと思います。家の近くに土器や石器が出土する場所を教えてもらい、一人でそこに通っては矢尻や石斧などを見つけ、それらを勉強机に並べて眺めていました。昔の人たちはどんな生活をしていたのだろうか。どのように矢尻を使って獲物を捕まえたのだろうか—と、想像を巡らせることにロマンを感じたのです。勉強机の上は遺物が増えていきました。中学3年生になっても熱心に受験勉強をした記憶はありません。
屋代東高校(現・屋代高校)では迷わず考古学を学ぶ地歴班に入りました。班には考古学に熱心な先輩が多く、初めて興味を同じくする仲間を得ることができました。茅野市の尖石遺跡など県内の有名な遺跡を見学したり、高校近くの遺跡で行われた発掘調査に参加したりしました。発掘を通して考古学を研究する県内の小中高校の先生との出会いもあり、考古学の世界が一挙に広がりました。
私は、縄文草創期から前期、中期、後期、晩期にかけての土器の変遷を学びました。加曽利式土器や勝坂式土器など土器の名称はもちろんのこと、土器を見ただけでいつの時期のものかが分かるようになりました。
3年生になると私は班長になりました。その時に参加したのが、戸倉町(現・千曲市)にある縄文時代の幅田(はばた)遺跡の発掘です。規模が大きく、地元の研究者だけでなく、東京の国学院大学の教授や大学院生も参加しました。この遺跡は県下でも有数の縄文時代の集落遺跡で、土器や石器、人骨などのほか、祭祀に使ったと考えられる、石を円状に組んだ「環状列石」も発見されました。
縄文人がここでどんな儀式をどのように行っていたのか—。思いを巡らせると、わくわくしました。そしてこの時初めて、大学の先に大学院があり、研究者という道があることを知りました。漠然とですが、研究者に憧れを持つようになりました。
高校3年生の夏休み。同級生たちはもっぱら受験勉強に時間を割いていましたが、私は3分の1近くを幅田遺跡での発掘に費やしました。受験勉強をあまりしなかった私ですが、担任の先生の勧めもあって信州大学教育学部を志願し、合格できました。
高校の卒業式後の春休みに、私は家の近くにある縄文晩期の遺跡の発掘調査に参加しました。私が中学生の頃から拾い集めた遺物がきっかけで発掘調査が行われることになったのです。遺跡からは多くの遺物が見つかり、予定を大幅に過ぎた4月初めになっても発掘は終わりませんでした。
私は思い切って一つの決断をしました。大学の入学式に出て授業料を納めると、授業には出ずに遺跡の発掘作業を10日間ほど手伝うことにしたのです。私にとっては大学の授業より発掘の方が大切だったのです。
10日遅れで大学に行くと、大学には考古学の研究室がないことを知り、私は落胆しました。ほかの学生はすでに所属研究室を決めていました。焦る気持ちの中で入ったのが、鳥の研究が専門の羽田健三先生の研究室でした。
聞き書き・斉藤茂明
(週刊長野)
2024年1月20日号掲載