効率的な捕獲方法を確立 発信機による行動追跡調査

背中に発信機を付けたカッコウ(尾にあるのは発信機のアンテナ線)

 私の次の研究テーマであるカッコウの研究は、調査時期がライチョウと重なることに悩みながらも、信大に赴任の翌年から開始しました。

 最初に調査地として選んだのが、志賀高原の北にあるカヤノ平でした。大学の「カヤノ平ブナ原生林教育園」があり、羽田先生からここにすむ鳥を調べてほしいと頼まれたのがきっかけでした。教育園に接してカヤノ平牧場があり、牧場の中には所々にブナなどの大木が残っていて、その上で、カッコウが盛んにさえずっていました。ここだと、カッコウの行動が観察しやすかったからです。

 最初にしたのはカッコウを捕まえることでした。カッコウの托卵(たくらん)については、古くから世界中で研究されてきましたが、この鳥の生態は、ほとんど未解明でした。その理由は、この鳥は捕獲が難しく、一羽一羽を個体識別した研究ができなかったからです。

 まず試した捕獲方法は、「鳥もち」でした。粘着性のある「鳥もち」を塗った枝を竹ざおの先に付け、牧場内の大木の上に出るように仕掛けました。カッコウは、高い場所に好んで止まるからです。しばらくすると、鳥もちにカッコウがつかまりましたが、捕獲しようと木に登っている間に逃げてしまいました。カッコウの体重で鳥もちが伸びてしまい、飛んで逃げたのです。鳥もちは、小鳥の捕獲にしか使えないことを知りました。

 次に試したのは、カッコウが好んで食べる毛虫を使う方法です。集めた毛虫を木の枝に付けて、牧場の地面に置き、その周りにカワラヒワの捕獲で使った無双網を設置しました。木の上でさえずっていたカッコウが時々牧場の地面に降り、毛虫を食べていたからです。毛虫を食べようとカッコウが降り立った瞬間に、ワイヤーのひもを引いて捕まえました。この方法で数羽を捕まえましたが、カッコウが降りてくるまで長時間隠れて待たなければならず、効率は良くありませんでした。

 最終的にたどり着いたのが、カッコウが集まる林縁(りんえん)の林の中に滑車とロープを使ってカスミ網全体を林の樹冠(じゅかん)部に設置する方法でした。この手法で2年目には、カヤノ平牧場にいる多くのカッコウを捕獲でき、両翼に色の組み合わせが異なるビニールテープを付け、個体識別できるようになりました。

 しかし、大きな問題がありました。捕獲個体の背中に電波を出す発信機を付けて放鳥すると、この鳥の行動範囲はかなり広く、カヤノ平という山の中では一日を通して追跡することは難しかったのです。

 やむなく、3年目からは調査地を長野市郊外の千曲川に移しました。ここにもたくさんのカッコウが繁殖しています。ほぼ平たん地なので電波が遮られず、一日中行動追跡が可能でした。

 カッコウの研究を始めるにあたり、私が考えていたことは、調査地内のほぼすべての個体を捕獲し、個体識別できるようにすること、発信機を装着して一日の行動を連続して追跡調査することでした。そうしない限り、カッコウの托卵という世界の鳥学の難問は解決できないと考えたからです。

 千曲川はカッコウの調査地には理想的でした。調査地を移してから3年目、調査地のカッコウをほぼ全個体捕獲でき、発信機での追跡調査が可能な態勢が整いました。

 この翌年には、羽田先生の退官が控えていました。信州大学での日本生態学会大会が終了した秋以降、先生の退官記念事業が、羽田先生への私の最後の仕事となりました。羽田先生と卒業生の鳥の論文を収録した1300ページの本を編集し、「鳥類の生活史」として出版する仕事も終え、3月には羽田先生の退官祝賀会を盛大に開催しました。これで恩師への恩は尽くしたという心境になりました。

 4月から助教授になり、研究室を引き継いだ私は、水を得た魚のように、この後20年間にわたりカッコウの研究に専念することになりました。

 聞き書き・斉藤茂明(週刊長野)

2024年4月27日号掲載