長野県の地方紙、信濃毎日新聞が発行する週刊長野「私の歩み」欄に、研究所代表の私の連載が掲載されることになり、今年の元旦から毎週土曜日に連載が始め、今回が最終回となりますます。研究所のホームページにこの連載を掲載しますので、関心があります方は、御覧になって頂けたらと思います。

週刊長野 2024年7月6日掲載 私の歩み 26 信州大学退職後

「ライチョウ保護」本格的に 調査・研究への熱意 今も

ライチョウ観察のため、妃殿下を乗鞍岳に案内した時

 

 高円宮妃久子殿下とは、もう25年以上のお付き合いになります。きっかけは、1998年に開催された長野冬季五輪。ご一家で競技を観戦に来られた際に、川中島古戦場にある市立博物館をご訪問されました。そこで私が、まだ幼かった3人のお子さまにフクロウの話をしたのがきっかけです。

 長野冬季五輪のマスコットキャラクター「スノーレッツ」がフクロウをモチーフにしていたことから、私は研究室の学生たちとフクロウの研究を始めていた頃でした。そのことを妃殿下が知り、当時、フクロウに興味を持っていたお子さまたちに話してほしいと言われたのです。

 妃殿下は子どもの頃から鳥がお好きで、バードウオッチングを趣味にされていました。市立博物館での出会いをきっかけに、フクロウの調査地だった長野市の小田切や戸隠、コノハズクを調査していた志賀高原の雑魚川渓谷、ブッポウソウの調査地だった栄村…など、各地をご案内するようになりました。

 高円宮殿下が亡くなられてからは、殿下が残された写真機材で、妃殿下が鳥の撮影を始められました。その頃から、バードウオッチングから鳥の撮影に関心が移られました。殿下の公務を引き継がれた妃殿下は、多忙な公務の合間に、鳥の撮影にお一人で長野に来られるようになり、その頃から私は、今度は鳥の撮影に長野県各地をご案内するようになりました。

 鳥を撮影される妃殿下の集中力は抜群でした。数年でプロ並みの撮影技術を身に付けられました。それからは、ご自身が撮影された鳥の写真でカレンダー「高円宮妃久子殿下 鳥暦」を毎年出されています。また、雑誌の婦人画報には、撮影された鳥の写真を使い「レンズを通して」という鳥のエッセー連載も始められました。

 妃殿下には、2000年に発足し、その後毎年開催しているライチョウ会議大会にも度々ご参加していただいています。12年には、松本市で開かれた国際ライチョウシンポジウムの歓迎会でスピーチをしていただきました。信州大学の独立法人化の目玉の一つになった「信州大学山岳科学総合研究所」発足の際に開いた記念シンポジウムにもご出席いただき、講演もしていただきました。妃殿下との鳥を通したお付き合いは、私が信大を退職した現在も続いています。

 07年、私は60歳を迎えました。その際、研究室の卒業生たちが還暦祝いの「戸隠探鳥会」を開いてくれました。羽田先生が始めた探鳥会は、私が2代目として引き継ぎ、その後、別の先生にバトンを渡しました。規模は小さくなりましたが、研究室伝統の探鳥会が今も続いているのはうれしく思います。そして12年、32年間勤めた信大を退職。その際に行った記念講演会には、多くの方が駆け付けてくれました。もう一つ、恩師の羽田先生が始めた「信州生態研究会」の年1度の研究発表会も私の後、後任の先生に引き継がれています。

 退職して、「これでようやく、大学から解放されて、ライチョウの保護活動に集中できる」というのが正直な思いでした。退職後は本格的に環境省のライチョウ保護活動を続けています。

 「私の歩み」の連載は今回が最終回となります。信大退職後のライチョウ保護活動については、今年4月に山岳ジャーナリストの近藤幸夫さんが、私を主人公に、「ライチョウ、翔んだ。」(集英社インターナショナル)という本にまとめてくれました。また、来年の春には、私がまとめたライチョウの保護活動に関する本が、山と渓谷社から出版されますので、これらを読んでいただけたらと思います。

 ライチョウ保護活動が一段落したら、カッコウの研究の再開も考えています。未解明なこと、不思議だと思うことを明らかにしたい—。調査・研究への思いは、もうしばらく消えそうにありません。

 聞き書き・斉藤茂明(週刊長野)

2024年7月6日号掲載

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