研究と育児の両立忙しく 5年間の研究成果論文に

院生の頃、米国からの研究者夫妻を琵琶湖に案内した時(右端が私)

結婚して2年目、私たち夫婦に子ども(長女)が生まれ、生活は一変しました。私は、これまでのように全国各地に調査に出かけ長期間家を留守にすることができなくなりました。

 当時、私はまだ学生だったので、働いている妻が世帯主、私は扶養家族でした。妻は私より4歳年上で、それを知ったのは結婚直前でした(女性に年齢を聞くのは失礼と思い、聞かずにいました)。私は妻の子育てを手伝いながら、研究を続けることになったのです。

 子どもをあやしたり、食事を与えたりするなど、育児に忙しくなりました。私が食事を準備する回数も増え、幼稚園の送り迎えは妻と交代です。京都市の「子育て支援」は当時から手厚く、わが家の保育料は無料でした。

 休みの日でも妻が出勤する日には、調査地の桃山御陵に、幼い長女を自転車に乗せ連れて行きました。誰もいない御陵の森の中にシートを敷いて、おもちゃと一緒に子どもを座らせて「おとなしくしていてね」と言い聞かせ、調査したことも何度かありました。

 そんな中で取り組んだ次の研究テーマは「つがい形成の仕組み」の解明です。カワラヒワのつがい形成は換羽を終え、繁殖地に戻ってきた秋に、桃山御陵の特定のスギの木の頂上部で、激しくからみ合う行動が関係するだろうと、見当がついていました。

 しかし、集団で行われるこの行動は動きが早く、どのような行動をしているのか、詳細なデータを取ることは至難の業でした。

 その集団行動を観察していたある日、私に声をかけてくる人がいました。私と同じ団地に住む小泉さんという人でした。ここで何をしているかを説明すると、趣味の8ミリカメラで、そのカワラヒワの行動を撮影してくれるというのです。翌朝から2人で、その行動の観察と撮影を始めました。1週間ほどかけ、5分ほど続く行動の一部始終を、数回撮影することに成功しました。映像を後で繰り返し解析し、集団で行われるこの行動の全貌がようやくつかめました。スギの木では、雄同士の威嚇や攻撃、雄から雌への求愛が盛んに行われていたのです。争いに負けた雄はその場から追い払われ、勝った雄が雌に求愛することで、次々につがいになっていたのです。

 この「集団誇示行動」を通して、つがいとなった数十羽の個体が翌年の繁殖集団の単位となり、秋から翌年の春先にかけてつがいごとに分散し、繁殖に入る様子を解明しました。

 京都大学大学院での5年間に及んだカワラヒワの研究は、「カワラヒワの個体群と社会構造に関する研究」と題した主論文と計7編の参考論文からなる学位論文にまとめました。

 ワープロなどがない時代です。結婚後は、私が書いた論文を妻がいつも清書してくれました。学位の主論文も妻が夜なべをして清書してくれました。少しでも読みやすいようにとの配慮からです。また、研究室の先生方など多くの人の支援があって論文を完成させることができました。

 京大動物学教室の学位審査員は5人です。3人は大学が指定し、残り2人は審査を受ける人が決めることになっていました。主査は川那部浩哉先生、副査は昆虫の研究で有名な日高敏隆先生。私は、外部からの審査員に信州大学の恩師・羽田健三先生と、信大の先輩で、ホオジロの研究で学位を取得した山岸哲先生にお願いしました。

 鳥の繁殖の仕方は、なわばり繁殖とコロニー(集団)繁殖に分けられますが、その中間にルースコロニー(緩やかな集団)繁殖があります。カワラヒワはそのルースコロニー繁殖をする鳥で、このグループの鳥の社会構造や繁殖後生き残った成鳥と新たに生まれた若鳥が一緒になって行う集団誇示行動を通し、毎年の繁殖集団が再編成される仕組みを初めて解明した研究として評価されました。

 審査は無事終わり、その半年後に理学博士の学位を取得しました。

聞き書き・斉藤茂明
(週刊長野)

2024年3月23日号掲載