人生の大きな岐路に立つ 思いがけない父の応援
信州大学医学部の中村登流(のぼる)先生と出会ったのは3年生になってからです。エナガという鳥の群れの研究をし、鳥の研究グループ「エンベリザグループ」も主宰していた中村先生から刺激を受けて、私は前にも増して鳥の研究に没頭していきました。
中島村落(上田市塩尻)を調査地としたカワラヒワの研究では、3年生の夏から新たなテーマに取り組み始めました。カワラヒワは、春につがいになって繁殖し、夏にそこからいなくなります。そして冬には、近くの河原で群れています。季節により生活場所を変えているようでした。そこで、中島村落とその周辺の田んぼや畑、河原などさまざまな環境を通る調査ルートを決め、月に3回、朝2時間かけて歩き、カワラヒワを発見した場所、そこでの行動を記録しました。鳥の研究で「ラインセンサス」と呼ばれる調査です。
3年生の冬、私は、河原にいる群れを餌付けし、餌場に集まったところを網で捕獲し、1羽ずつ色の組み合わせの異なる足輪を付けて放鳥し、その足輪から以後、個体識別ができるようにしました。
家や大学よりも調査地で過ごす時間の方が長い日々が続き、大学に通って講義を受けるという、ほかの多くの学生の生活スタイルとは次第にかけ離れていきました。でも、私の知りたかったことが次々解明でき、研究の面白さに一層のめり込んでいきました。
冬休みのことでした。手造りの小さな草ぶきの小屋で身を隠して千曲川の餌場に集まってくるカワラヒワを観察していると、声を掛けてくる人がいました。私の父親でした。カワラヒワの研究を始めてから家で話をすることもほとんどなくなったので、私の様子を見に来たのです。父と土手に座り、私はここで餌場に集まってくるカワラヒワの群れを観察していること、この群れの個体が春につがいとなり、周辺の村落に分散する様子を明らかにしようとしていることを説明すると、安心したのか、何も言わずに帰っていきました。
教育学部の学生は4年生になると教員採用試験を受けますが、私の気持ちは学校の教員ではもう収まりがつかなくなっていました。教員になるか、研究者になるか。人生の大きな岐路に立ち、悩んでいた時期に父親から一緒に山に行かないかと誘われました。子どもの頃、よく一緒に行った近くの山です。山頂で休んでいると、これからどうするのかと聞かれました。私が悩んでいることを見透かしていたかのような言葉に、父が山登りに誘った理由が分かり、胸が締め付けられました。
即答はできず、しばらく考えて、京都大学の大学院に行き、将来は研究者になることも考えていると打ち明けました。返ってきたのは意外にも、「若い時には好きなことに挑戦してみろ」という言葉でした。自分ができなかったことを私に託しているようにも思いました。
それでも私はまだ決心がつかずにいました。そこで私は、高校生の時に登った霧ケ峰に再び登りました。一人で山を登り自分を見つめ直してみようとしたのです。山の上で私が出した結論は「研究者を目指す」でした。
私の決意を父に伝えると、大学院への進学を家族全員で応援すると言ってくれました。羽田先生も大変喜んでくれ、頑張るように励ましてくれました。羽田先生は、京都大学理学部でカモ類の研究により学位を取得していたので、京都大学を勧めてくれていたのです。
聞き書き・斉藤茂明
(週刊長野)
2024年2月3日号掲載