カワラヒワの調査地を探す 大学院の2年目で結婚
大学院合格を目指した「受験勉強」の2年間は、カワラヒワの研究には全く手を付けませんでした。我慢に我慢を重ねただけに、晴れて院生となり、研究に取り組めるようになった私は、まさに「水を得た魚」でした。研究再開にあたり、まず京都でのカワラヒワの調査地を探すことから始めました。
京都盆地一帯から隣の滋賀県まで足を運び、半年間かけてたどり着いたのが、京都東山の南にある明治天皇陵墓の桃山御陵でした。村落の庭木などで繁殖する長野とは違い、京都のカワラヒワは御陵のような木々で覆われた山地の林縁部で繁殖し、その周りの水田や畑、住宅地といった開けた環境で餌を食べていました。調査地が決まると、長野と同じように、調査地に生息するカワラヒワを餌付けて捕獲し、足輪を付けて個体識別ができるようにしました。
大学院に入ってすぐの4月、私は大阪の枚方市にある啓光学園高等学校・中学校で生物の非常勤講師のアルバイトを始めました。そこで出会ったのが、理科実験助手をしていた、後に妻となる西山ミエさんです。一目ぼれでした。彼女は、子どもの頃から茶道と着物をたしなみ、特に茶道の影響か、とても立ち振る舞いが清楚で、私とは別世界の人というのが第一印象でした。
私は翌年4月、生物の授業で使った赤いバラの花を彼女にプレゼントしました。その時、細胞の顕微鏡観察に使う紫露草がなくて困っていると話すと、どこで探してきたのか、翌週バケツいっぱいの紫露草を持ってきてくれました。この出来事がきっかけで付き合いが始まりました。
京都の三条河原町にある教会が待ち合わせ場所になりました。そこから市内の寺院や博物館などに出かけました。プールに行ったり、夏休みに私の実家に2人で行ったりしました。
私は銀閣寺の近くに下宿しており、調査地の御陵まで電車で1時間ほどかかりました。鳥の調査は早朝の観察が重要です。そのため大学院2年目に御陵の近くに引っ越そうと考えていたところ、御陵近くに建設中の府営住宅の入居者募集があったので応募しました。約30倍とのことで当たるとは思っていませんでしたが、当たってしまいました。
入居条件の一つに既婚者とありました。迷った末に彼女に結婚を申し込むと、同意してくれ、私たちは結婚することにしました。反対されるのも覚悟で、結婚のことを電話で父親に伝えると、返事は「分かった」の一言でした。反対する親戚もいたようですが、父親がうまくまとめてくれたことを後で知りました。
入居期限の3月末、京都御所隣にある私学会館で、川那部先生ご夫妻仲人の下、結婚式を挙げました。信州大学の恩師、羽田先生には出席していただくことはできませんでした。代わりに当時、信州大学教育学部の志賀施設の助手で、信州大学の研究室で8年先輩だった山岸哲さんが来てくださいました。山岸さんは、後に大阪市立大学、京都大学の教授となり、山階鳥類研究所の所長を務め、この「私の歩み」に以前登場した方です。その山岸さんの話では、私が結婚すると聞いて羽田先生は、「中村は京都に何しに行ったのか」と激怒されたそうです。
急な話だっただけに、長野からは私の両親と兄弟3人、それに親戚2人だけが出席しました。京都大学の研究室からは、森下教授をはじめ教官と院生が大勢参加し、祝ってくれました。
付き合い始めてからちょうど1年後のことでした。府営住宅の抽選に当たらなかったら、私はこんなに早く結婚することはなかったと思います。
聞き書き・斉藤茂明
(週刊長野)
2024年2月17日号掲載