調査地を全国に広げて 独自の着眼点で新発見

調査に訪れた小清水原生花園で(左が私)

 京大の大学院でカワラヒワの調査を始めて、長野と京都では異なる点が幾つか見えてきました。一つは繁殖環境の違いです。つがいができる時期は、長野では春先、京都では秋の終わりでした。また、京都で繁殖するカワラヒワは長野の個体に比べて体がやや小さいのです。さらに、これとは別に、京都では、長野で繁殖したものより体の大きなカワラヒワが多数見られることにも気が付きました。

 両地域でこれらの違いがあるのはなぜか。この疑問が博士課程での研究テーマになり、後に私の博士論文になりました。

 大学院2年目。北海道大大学院生の小川さんが、北海道の小清水(こしみず)原生花園(げんせいかえん)では、オホーツク海に面した海岸砂丘のハマナスにカワラヒワが巣を作り、繁殖していると教えてくれました。北海道では、京都のカワラヒワが繁殖を終えた頃に、繁殖が始まります。京都での調査がほぼ終わった翌年の6月初めから1カ月間、小清水原生花園に調査に出かけると、驚いたことに、背丈1メートルにも満たないハマナスに巣を作り、地面すれすれの草の根元に巣を作っているものもいました。ここのカワラヒワは、草原性の鳥であるノビタキやシマアオジと一緒に生活をしていたのです。

 その翌年、京都で繁殖が始まる前の2月に1週間ほど、鹿児島県の志布志湾(しぶしわん)に調査に行きました。ここは、カワラヒワの繁殖南限の地です。海岸のクロマツ林の上で盛んにさえずっていて、巣は高さ10メートルほどのクロマツに作っていました。 なぜ、この鳥が繁殖している場所は地域により、これほど違っているのか。私がたどり着いた結論は、カワラヒワにとって重要なのは、ひなを育てるのに必要なハコベやタンポポといった草の実の餌であり、巣を作る場所は二の次ということでした。小清水原生花園のように砂丘の草の中でも、京都や志布志湾のように高い木の上でも、その近くに餌が豊富にあって、巣を隠せる安全な場所ならどこでも良かったのです。このように、博士課程からは、私のカワラヒワの研究は全国展開となっていきました。

 北海道の小清水原生花園と九州の志布志湾での調査では、そこで繁殖するカワラヒワをできるだけ多く捕獲して、体の大きさを測定しました。予想通り、小清水原生花園の集団は長野のものよりずっと体が大きな集団で、逆に志布志湾の集団は、京都の集団よりもさらに体の小さな集団でした。

 千葉にある山階鳥類研究所には、カワラヒワの仮剥製が多数収蔵されています。最北の繁殖地カムチャッカ半島から千島列島、さらに北海道から本州、そして四国、九州で繁殖期に捕獲された剥製の大きさについて測定しました。それに私が各地の繁殖地で捕獲した個体の測定結果を、横軸に緯度、縦軸に翼長(よくちょう)など体の大きさをとった図に示しました。すると、北のカムチャッカ半島から南の九州南端で繁殖するものまで、北で繁殖する集団ほど体が大きいという直線的な関係があり、きれいな相関があることが分かりました。

 当時カワラヒワは、北のカムチャッカ半島で繁殖するものをオオカワラヒワ、樺太から北海道のものをカラフトカワラヒワ、本州から九州で繁殖するものをコカワラヒワと、3亜種に分類していました。それぞれの地域のカワラヒワは、体の大きさがそれぞれ異なっていたからです。しかし、それぞれの間の地域を含めてみると、この3亜種はそれぞれ別の集団ではなく、連続的な変異を持った一つの集団であることが分かったのです。長野と京都で繁殖するカワラヒワのわずかな体の大きさの違いに注目することで、誰も思いつかなかった新発見に至ることができたのです。

聞き書き・斉藤茂明
(週刊長野)

2024年3月9日号掲載